「最近、心が病んでいるな……」の原因にあった、効率第一主義

時間とお金の使い方では、節約できるかよりも、満足感が大きいかどうかを優先したいと思い始めています。

働き始めてから20年以上にわたって、いかに効率を上げるか、いかに予算を削減できるかという点しか頭になく、仕事もプライベートも最初の発想がその方向でした。

ところが、3年ほど前に会社を辞めて、フリーエディター・ライターとして働き始め、「知恵の木」を開店・閉店させ、現在に至り、行き詰まってきました。
「効率的か」という観点だけでとらえると、「どうがんばっても会社員時代には及ばない」「よって、子育てや家事以外の活動は一切行わないほうが効率がよい」「『知恵の木』なんて、まったくの無駄だった」と、「働く私」を全否定することになってしまうのです。
今は亡き「知恵の木」……

取材に行く前や原稿を書くときは、本を読んだりネット検索をしたりして、下調べを行います。
会社員時代は準備の時間にも給料が払われたのですが、フリーになれば無給。
原稿の文字数分だけの報酬しか支払われません。

そうなると、下調べを一切せずに原稿を書くことが効率を上げる方法になるわけですが、それだと仕事としてもつまらない。
では、仕事すること自体辞めてしまおうかとも思うのですが、無趣味な私は仕事がなければ生活そのものも単調で、やっぱりつまらなくなってしまうのです。

以上のようなことをウツウツと考え、「これでは心が病んでしまう」!」と現状を整理することにしました。

■現状
「仕事ができる人」と思われたい
お金を稼げない自分自身が、非常に居心地が悪い
世の中で自分が役に立っていることを確認したい
小さな「間違ったこと」が気になって仕方がない
将来に対して、気楽になれない


■今後の方針
今日まで25年近くも仕事をしてきたから、私は自分自身を「仕事ができる人」と思ってよいことにする
「いいな」と思った人を研究して、仕事のやり方などをまねる
「無職でも生活に困らない」状態を目指す(不労所得をほどほどに勉強する、など)
将来の不安や心配は仕方がないこととして、今できることをがんばる(家の掃除や片づけ、筋トレ、有酸素運動など)
人間同士は理解できないことも多く、話し合っても平行線で終わるのは当然ということにする
積極的に嫌われる必要はないが、嫌われても仕方がないということにする


■引き受ける仕事の基準
以前にお世話になった人で、これからもお付き合いした人からの依頼は、ギャラが少額でも引き受ける
得意分野やおもしろいテーマの仕事は、勉強になるのでギャラが少額でも引き受ける
自分の中のサービス精神が刺激される仕事は、ギャラが少額でも引き受ける


■引き受けない仕事の基準
「押しつけられている」と感じたら、断る
「いろいろとごまかさなければいけない」と感じたら、断る
「納得できそうもない」と感じたら、断る


以上のように考えて、早速、クライアントにも連絡をしました。
「私の得意分野は美容ではなく、終末期医療や足の構造、東洋医学、筋トレです」
また、美容など私の苦手分野が得意なライターを紹介しました。

仕事の量も収入も確実に減りますが、心が病むよりもマシです。
生活に窮するほどになっても、心身が健康だったらビル清掃や居酒屋などでバイトもできます。

効率第一で動いてきた人間ですから、考え方をすぐに180度変えるのは無理というもの。
一つひとつ習慣を見直し、「私にとって満足感は得られるか」を確認しながら修正していくつもりです。

アルフレッド・アドラーは、言い訳ばかりが多い神経症の人に「まず、自分がやりたいことを、他人に危害を与えない範囲でやりましょう」ということを、いつも話していたそうです。
盗みや人殺しといった犯罪、法を犯すことでなければ、やりたい放題やったほうが心の病気は治ると。
また、「自己犠牲は悪」みたいなことも書かれていた記憶があります。
訳のせいか非常に読みにくい本ですが、『人はなぜ神経症になるのか』は痛いところを突いてきて、ハッと気づかされることも多々ありました。



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