終末期での「もっと長生きしたい」という思いと「人は死ぬ」という現実を埋めるスピリチュアルケア

ある健康食品を開発した、超有名大学の男性客員教授(当時)を取材したときのこと。
彼は高齢者専門病院の協力を得て、自分の商品を高齢者に摂取してもらい、その様子を動画で撮影していました。

動画では、寝たきりになって手足が拘縮し、自分で食事が取れず、お尻などに褥瘡ができている高齢者たちのベッドのそばで、彼は「元気を出してください」と声をかけていました。
健康食品を摂取し始めて2カ月後、高齢者たちの関節が少し動かせるようになった様子(ただし自分では動けず、看護師にされるがままの状態)を眺めながら、彼は満足げに効果を解説。

このような内容でした。

彼は健康食品の効果を動画で伝えようとしたのですが、私のほうは拘縮した手足や褥瘡、表情の乏しさのインパクトがあまりにも強くて、「長生きすることにどんな意味があるのだろうか……」と思うようになってしまいました。

この動画に加え、『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』(中村仁一、幻冬舎新書)や『日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか 』(久坂部 羊、幻冬舎新書) といった終末期に関する本を読んで、私は次のように考えるようになりました。

自力で動けなくなったら、今生は終わりとしたい。また、たとえ終末期ではなくても高齢期において、自力で動けなくなるリスクが高いのなら、心肺蘇生は受けたくないから救急車は呼ばないでほしい……
こうした私の考えは、どうやら特殊なようです。




昨日、母と電話で話したときに「もっと長生きしたい」と聞いて、私は驚いてしまったのです。
母はもうすぐ80歳。抗がん剤が効かない末期がんで積極的な治療をやめた状態なのですが、「何かあったとしても、もう心肺蘇生は受けない」とまでは思っていない様子でした。

さらに、10年ほど前に父が亡くなったときに母は市販のエンディングノートに記入したとのこと。今はもう体がつらいから、エンディングノートを書き直したり、心肺蘇生などの内容を確かめたりする気力がないようです。

こうした母の様子や、私の周囲の人々と話し合った内容から、「心身が元気なうちに、自分が今後どこで、誰と、どのように生きていくか、どのように死んでいきたいかを考えておかなければいけない」と思いました。

エンディングノート『未来史』を記入するタイミングがあるとしたら、50~60代前後でしょうか。延命治療(心肺蘇生、終末期医療)について調べたり、考えたりできる気力はまだまだあるはずです。

もう一つは、「霊性」「高次の精神性」「伝統宗教」といったスピリチュアルな問題にも、50~60代前後で取り組んだほうがいいと私は感じています(「スピリチュアル」ではなく)。『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』(池上彰、文春新書)の帯に「宗教は『よく死ぬ』ための予習です。」とコピーがあり、前述の中村仁一医師も終末期の宗教のあり方に言及していました。

死の不安におびえるのが人間というものだとしたら、それにこたえられるのは「永遠に健康に、永遠に美しく、永遠に元気に」といったアンチエイジングの商業的文句ではなく、太古の時代から人間がすがってきたスピリチュアルケアではないでしょうか。



成長や老いとともに変化し続ける自分の体を受け入れ、自分らしく人生を全うさせる準備を重ねていくために、スピリチュアルケアを私たち人間は大事にしてきたように思っています。

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