私の偏見:発達障害や学習障害が「教室」という密室で作られているという可能性

国会議員が秘書に対して「このハゲー!」「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」などの暴言を吐いていたということ。
小学校の教員がカビの生えたパンなどを児童に食べさせていたこと。

この2つの事件に共通するのは、どちらも「先生」と呼ばれる職業の人が引き起こしたという点。
そして、どちらも「車内」「教室内」という密室で行われたという点です。

私が悪質だと思ったのは、教員のほうです。
なんせ相手が小学生だから。
さらには学校という組織は身内を守ろうとするので、教員の名前なども公表されていません。

この教員にしてみれば「給食を食べなさいと私が言っているのに、子どもが時間内に食べられないのは許せない」という気持ちだったのでしょうか。
その罰を子どもに与えれば、子どもは自分の指導どおりに行動すると思ったのでしょうか。

国会議員にしても教員にしても、自分の思うようには秘書や子どもたちが動かないので、イライラしていたのかもしれません。

一方の秘書や子どもたちは、怒られることでパフォーマンスが落ちていきます。
「もっとがんばろう」というよりも、「『先生』に怒られないようにしなくちゃ」とビクビクして目の前の仕事や課題に集中できないわけです。
そして失敗をしてはまた怒られるという、悪循環に陥ります。

話を教室内に戻せば、教員は自分なりに努力して授業を行ったにもかかわらず、教えたことが身に着かない子どもがいたとしましょう。
さすがに「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」という暴言は吐かないでしょうが、子どもに対し「あなたが怠けている」「あなたの努力が足りない」ひいては「あなたには障害がある」「あなたは『できない』人間だ」という態度を取るのではないかと、私は考えたのです。

基本的に1年間は担任は交替しません。
そして、こうした教員の言動が繰り返されることによって、落ち着きがなくなったり勉強に集中できなくなったりする子どもが出てくるのではないかと。
1年にわたって担任の教員から「スポイル」されてきた子どもは、発達障害や学習障害に似た状態に陥る可能性があると、私は思うのです。

ほかの大人が気づいてあげられなかったり、学校内でそうしたレッテルがべったりと貼られてしまったりすると、子ども自身が自分の能力を否定することや親があきらめることにつながるでしょう。

実際は、ちょっと不器用なだけだったり、覚えるのにちょっと時間がかかったりするだけなのかもしれません。

昔のほうがよかったというのは卑怯な感じもしますが、事実として私が小学生の頃は低学年で百人一首を覚えさせられたり、高学年でも漢詩を読まされたりはしませんでした。
小学1年生で宿題が大量に出され、11時になっても終わらないなんて、ありえなかったですね。
道徳にも今ほど時間は割かれていません。
国語も算数もゆっくりと勉強できていました。

学校教育のあり方、教員のあり方で、私の子ども時代よりも発達障害や学習障害が増えているのではないかと、個人的に私は思っています(偏見)

ここでお伝えしたいのは、たとえ小学生時代や中学生時代につらい思いをしたとしても、「私は発達障害(あるいは学習障害)だから仕方がない」と決めつけないでほしいということ。
落ち着きがない、あるいは教えられたことが定着しないのは、あなたのせいではないかもしれません。
○○テストで発達障害と診断されたとしても、その場の状況(検査官に対して警戒心を抱いてしまった、など)やストレス(教員から否定されている、など)といった、一過性の問題という可能性があります。

また、過去のブログ「発達障害を『生まれつき』とあきらめないで! 成人してからも脳が変容すると判明」にも書きましたが、脳についてはまだ科学的にわかっていないことのほうが多いのです。
突然、飛躍的に伸びることもあるんですね


最後に、事件を起こした国会議員も小学校の教員も、私には全然幸せそうには思えず、闇を抱えているのではないかと。
国会議員や教員という仕事が本当は向いていない人たちなのかもしれません。

そういう意味では、誰が加害者かを突き詰めるよりも、今のこの世の中で自分が幸せと思えたら得ではないでしょうか。
究極は「空が青くて幸せだ」という心境でしょうか。
今は梅雨ですけど。

Powered by Blogger.