そばにいてくれる人は、必ずしも家族がいいわけではない

「がん患者は容体の急変があります」と『小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』(上野千鶴子、小笠原文雄 朝日新聞出版)に書かれています。
ですから、先手先手で介護保険の認定を受けるなどの手続きをしておきたいところですが、現実はなかなか。誤った情報が交錯したり思い違いがあったりして、気づけば患者の容体が悪くなってしまうことも多いのではないでしょうか。

3人に1人ががんで亡くなっている日本の現状を考えれば、最期をどのように過ごしたいのか40代のうちからイメージを膨らませておいてもいいかもしれません。

この点で、『小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』では病院、ホスピス(緩和ケア病棟)、在宅などたくさんの選択肢が示されているので、非常に参考になります。

がん患者は容体だけでなく、心の状態も激しく変化するようです。前向きからどん底、死の受容から否認・恐怖。こうしたときに、誰が近くにいてくれたらいいのかについても、この本で検討できます。

患者のそばにいる人は、必ずしも家族がいいわけではない。
「家族だから」「子どもだから」と責任感を強く持つことが、「患者自身が納得する」ことへの逆効果になる場合もある。

小笠原医師は数多くの患者と家族に接してきた経験から、数多くのケースを紹介しています。

何がその人にとって幸せで、どんな形で納得できるのかは、家族でも計り知れない部分が多々あります。
所詮はわかり合えない存在だからこそ、余計なおせっかいや幻想は捨てて、丁寧に向き合う必要があるのかもしれません。

「生まれる所は決められないが、死ぬ処は自分で決める」と小笠原医師は語ります。

お笑い親子コンビのネタで「生まれてくる家、間違えた」という子どものセリフがありますが、間違えもなにも自分で決められないから子どもはまったく悪くないわけで、これはもう仕方がないのです。
「生む子を間違えた」と語る親も然り。
私たちの誕生は神のみぞ知るわけですから、たかが人間の私たちが「この親の元に生まれてきた意味」「この子が私のもとに生まれてきた意味」などの理屈をこねくり回しても、それこそ無意味。

ですから、自分自身は人生の終着点までどのように進み、どのように旅立つのかさえ努力すればいいのでしょうね。

人生何があるのかわからないから、やっぱり先手先手で支度をしておくことが大切です。

Powered by Blogger.