「在宅ひとり死」の理想と現実

「がん患者は容体の急変があります」と『小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』(上野千鶴子、小笠原文雄 朝日新聞出版)に書かれていたことが、現実にありました。
80歳で末期がんの母は、自ら容体の変化を感じて、ホスピスに入院しました。
電話をしたところ、声に力がなく、すぐにでも切ってほしい印象だったので、早々に話を切り上げました。

非常につらい状態に置かれた人は、励ましも、慰めも、癒しも、なにも聞きたくない時間があるのだと思いました。
「ただひたすら、私を静かにしていてほしい」 そんなトーンが、母の声に表れていたからです。

短時間の電話でわかったのは、ホスピスの看護師が母に適度な距離で接してくれていて、それを母は有難いと感じていること。
「患者のそばにいる人は、必ずしも家族がいいわけではない」 これも母の電話で実感しました。

死に向かう人に接したことのない人間は、「なにかやってあげよう」と妙に力んだり、悲しんだり、結局は自分本位の自己満足な行動を取りがちなのではないでしょうか。
経験豊かなプロのほうが、死に向かう人が必要としていることを感じ取れるのかもしれません。

今さらながら思うのは、高齢の母にとって抗がん剤治療は不要だったのではないかということ。
私は治療を勧めなかったのですが、「もっと長生きしたい」という母の気持ちは強く、母自身が治療を選んだので、それはそれとして仕方がありません。
母は母なりの、彼女らしい選択をしたのです。

加えて、「在宅ひとり死」を望むのなら、訪問医療や介護などそれができる体制を早くに整えておくべきだったということ。
自分では元気なつもりでも、容体はいつ急変するのかわかりません。
「まあ、そのうち」と先延ばししたら、自分の希望する形で臨終を迎えられなくなる可能性が高くなります。

けっきょく、母はホスピスにとどまる状況を選択しました。

私自身、ホスピスを訪れたのは初めてでした。
ホスピスの看護師は、私が会ってきた一般病棟の看護師とは雰囲気が異なり、死なないようにケアするのか、死に向かうためにケアするのかで大きな違いがあると感じました。

ホスピスの看護師と数名立ち話した中で、おそらく「在宅ひとり死」に立ち会ったであろうと思われる方もいました。
書籍やネットで情報を集めるだけでなく、また独りよがりにあれこれ考えを巡らせるのではなく、経験豊かなプロと直接話すことで新たな選択肢が見つかるのだろうと思いました。

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