「健康」でも長生きしたためにつらい思いをしている高齢者もいる

『日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか 』(久坂部 羊、幻冬舎新書)には「つらい長生きをしている老人がいる」と書かれています。

私たちは老いていく宿命。
視力や筋肉は落ちていき、関節は痛むようになっていきます。若い頃にできたことが、徐々にできなくなっていくのです。
そして体の機能が低下して、不眠やめまい、耳鳴りが起こったり、排泄や呼吸、味覚に障害が現れたりします。

体が言うこと聞かないから、やりたいことができなくてイライラします。
そして人間関係もこじれがち。

不平、不満、愚痴、悪口、不機嫌。
高齢者の顔を見ると、口がへの字に曲がっている人が少なくありません。

さまざまな症状に悩まされていても、病名がつかなければ「健康」と分類されます。
そのような「健康」な高齢者と、久坂部 羊氏は医師として接してくる中で、「つらい長生きをしている老人がいる」と思うようになったのではないでしょうか。

この本では、62歳で亡くなった内科医の丸山理一氏について言及されていました。丸山医師は自身が胃がんだとわかっても、治療を行いませんでした。丸山医師の最期について、久坂部氏は次のように書いています。

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(丸山医師が亡くなった62歳という年齢について)それだけ生きれば十分と思うか、まだまだ足りないと思うかは、気の持ちようでしょう。あらかじめそのつもりでいれば、さほど短い人生でもありません。
 だから、私は若いうちからの心づもりが大事だと思うのです。今、七十歳の人に、それくらいで死ぬのがいちばん楽だと言っても、受け入れるのはむずかしいでしょう。三十歳の人なら、まだ四十年もあるので、まだしも受け入れやすいかもしれない。そう決めて生きれば、今の時間の輝きも増すのではないでしょうか。
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この文章を読んで、80歳で末期がんの母や、すでに年齢を重ねってしまった人が、自分のエンディングについて考えて『未来史』に記入するのは現実的ではないと改めて思いました。
「若いうちからの心づもりが大事」。
昨日のブログに「エンディングノート『未来史』を記入するタイミングがあるとしたら、50~60代前後でしょうか」と書いたのですが、それでも遅いのかもしれません。

そして丸山医師のエピソードから思い出したのが、野口晴哉氏でした。
野口氏は「活き活きと生を全うする」ことを「全生」と述べて、生きている力を発揮して生き切ることを目的に健康法(野口整体)を指導していました。
野口氏は64歳で亡くなるのですが、全生という観点では64歳ぐらいで死ぬのがちょうどよいと言い残したと伝わっています。


こうした話を思い巡らせると、65歳から74歳までが「前期高齢者」で75歳以上が「後期高齢者」という区別や、 65歳以下では積極的に治療を進めていく方針など、年齢や「健康」によって生き方・死に方を判断するのは的外れかもしれません。
長生きがつらくならない、むしろ楽しんだりおもしろがったりして生を全うするには、外的な条件に振り回さるのではなく、自分の気力・体力を冷静に見極めながら、笑顔で老いていく心づもりが大事になるのでしょうね。
photo:panDx1
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