「平坦な戦場で ぼくらが生き延びること」

父親も母親も妹もいる、一見、普通の家族。
母親は陽気でオシャレで社交的だと周囲に思われている。ホームドラマに出てきそうな「理想的なお母さん」。

しかし、長女である私にとって、母親の振る舞いが演技のように思えてならない。
「お母さん」として私を支配しながらも、1対1になると「女」としての部分がむき出しになってしまう母親。

もっと私に注目して。
もっと私の価値を認めて。

そんな母親に対し、幼い頃から私は顔色ばかりをうかがってきた。

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こうした母・娘の姿が描かれているのが『放蕩記』です。
著者は、言わずと知れた直木賞作家の村山由佳さん。
とてもきれいで、知的で、上品で、そのうえ著名な作家ですから、私がインタビューでお会いしたときは「こんなに兼ね備えた人もいるわけだ」と驚きました。
しかし、『放蕩記』は村山さんの半自伝的小説で、作家としての原動力は母親との暗い葛藤から生まれたのかもしれません。

『放蕩記』は若い女性だけでなく、50代、60代の女性の共感も得たそうで、村山さんに「私も実は……」と話し始めるファンもいたとのこと。
この小説に出てくる「普通の家族に見えるけれど、『母である私に従いなさい』『女としての私を認めなさい』などと矛盾した欲求をぶつけてくる親の元で無意識のうちに苦しめられている子ども」も少なくないのでしょう。
ちなみに、岡崎京子さんや大島弓子さんの漫画にも、こうした家族が描かれて
います。

そのうえで、昨日ここで紹介した小児科の森戸やすみ医師の「 子どもの心に配慮した根拠ある教育を」という記事から引用します。

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学校には、本当に様々な子どもたちが通っています。実の両親でなく親族や里親、養親に育てられていたり、婚外子だったりステップファミリーだったりして、幼い頃の写真がなかったり名前の由来がわからないことも。また、ネグレクトやもっと能動的な虐待を受けている場合、親に感謝はできないでしょう。
---  (森戸医師の記事から)


上記に加えて、実の両親でも、当の親が無自覚・無意識に子どもに葛藤を抱え込ませているケースもあるでしょう。
学校という場所にはさまざまな背景の子どもが通ってくるわけですが、現在はホームドラマに出てきそうな家族を前提に「親には感謝しなさい」「生まれてきたことを喜びなさい」といった教育が行われているのかもしれません。

教育の現場についてはともかく、文学や漫画では多様な家族像が描かれています。
残酷でちょっとグロテスクに思える家族像でも、それを表現している作品を読むことで、ある種の癒しが得られるのではないでしょうか。

村山さんについては、自分の母親が認知症になってようやく『放蕩記』が書けたと語っていました。
この小説を書きながら過去を追体験して苦しくなることもあったけれども、文章化という形で少しずつ昇華していけたとも。

家庭や学校で自分を否定したくなるような葛藤を抱え込んだとしても、私たちが生きる世界はそこだけではありません。
文学や漫画といったフィクションとノンフィクションのはざまには、みっともなくて、しんどい、みじめな自分でも居場所はあるわけです。

「平坦な戦場で ぼくらが生き延びること」(ウィリアム・ギブスン)

この世界観を描いている岡崎京子さんの『リバーズ・エッジ』を私は強くお勧めしているのですが、「知恵の木」では売れてしまって在庫がありません。

さらに、大島弓子さんの選集も売れてしまいました。

村山由佳さんの『放蕩記』も在庫がないのですが、本と漫画をこよなく愛する者として紹介した次第です。

岡崎京子さんの漫画についてはまだ在庫があるので、興味のある方はぜひ!











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