作文指導に「効率」を持ち込まないこと、言葉は体験で教えること

作文指導の大先輩であるAさんは20年ほど前に、不登校や今でいう発達障害の子どもたちに作文を教えていました。
指導を受けた子どもたちは、現在は就職し、結婚をして子どもがいる人がほとんどなのだそうです。
デザイナーやイラストレーター、大工などになった子どもが多いのだとか


「ADHD、自閉症、アスペルガー症候群、学習障害とかいろいろと細分化するけど、そういうのは意味がないんだよね」とAさん。
最初は形容詞がまったく出てこなかった子どもでも、作文ができるようになって、日本で五本指に入る大学に進学し、今は社会人として働いているそうです。

Aさんのお話を聞きながら、私は励まされました。
自分の子どもが学習障害かもしれないと思ったとき、そしてテストを受けさせた結果「精神科に行けば発達障害と診断されるだろう」と言われたとき、子どもの将来を悲観して泣くことが度々あったからです。

「親って、みんなそういうものよ。子どものできないところが気になるの」とAさん。
「でもね、ずっと教えているとね、あるとき子どもの能力がポンと伸びるときが来るのよね」

Aさんは視覚や聴覚を使って、日本語を子どもたちに教えていました。
Aさんの指導方法を聞いていると、なんだかサリヴァン先生を思い出しました。

言葉で言葉を教えるのではなく、体験で言葉を教える。
私ももっと指導に工夫が必要だと実感しました。

もう一つ、私の場合はみっちりとカリキュラムを組んでいました。
「作文を書くという作業」を細かく分けて、一つずつ段階を踏んでいけば、作文が楽になることは事実です。
しかし、このやり方で「段階を踏む」ことに私がこだわってしまいました。
子どもが一つクリアすると、効率よくすぐに次の作業に移りたくなるのです。

Aさんは同じことを1年半ほど繰り返し、繰り返し、子どもに伝えてきたのだそうです。
そして前述の「ポンと伸びるときが来る」体験をされたのです。

一見、無駄なことが、子どもの中で着実に力になっているのでしょう。
長年のワーキングマザー生活で習慣化した効率主義は、家事とライターの仕事にとどめ、作文指導には持ち込まないように心がけようと思いました。

また、“作文が書けない「トラウマ」が消えるだけで将来の選択肢が増える”とブログに書きましたが、Aさんも同様に話していました。
進学でも就職でも志望理由書を書く機会が出てくるので、「作文ぐらい、なんとかなる」という意識が子どもにあるだけで選択肢が広がるわけです。

Aさん、いろいろと教えてくださって、ほんとうにありがとうございます。
「発達障害とか、あまり大げさにとらえないでさ。みんな抱えているものがあるんだから」
本当にそのとおりですね。
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