市川駅から歩いて行ける「勝手にパワースポット」その8 六所神社

六所神社
〒272-0825 千葉県市川市須和田2-22-7



神道に詳しくないライターが、開運関係の記事を作るときに困るのが神様の名前じゃないでしょうか?
神様には複数の名前があるのです。

以前、47都道府県の神社と祭神、ご利益を紹介する原稿を書くことになったとき、依頼者からリストを渡されました。
リストをそのまま使うつもりでしたが、念のため、各神社のウェブサイトを見たら、リストのデータと神社の名前の漢字表記や祭神が違っていたのです。
「リストは使わないほうがいい」。
そう判断し、ウェブサイトを作っている神社はサイトを、ウェブサイトがない神社は専門書を参照して、苦しみながら原稿を作りました。
しみじみ「楽な仕事などない。苦しいからこそ仕事だ」と思ったものです。
ただ、神様に複数の名前があることをこの仕事から学べたので、私自身、実りはあったと思っています。
なお、私の原稿は専門家がチェックしてから記事になっているので、素人が書いたとはいえ間違った情報は掲載されていません。
ご安心を。

六所神社の祭神である大己貴命(おほなむち)については、大国主(おおくにぬし)という名前が有名で、大穴牟遅神(おおなむぢ)、大穴持命(おおあなもち)など10以上の名前があります。
大己貴命は出雲大社の祭神。
「因幡の白兎」で有名な神様です。
ですから鳥居は出雲系です。

参拝は二拝四拍手一拝(にはいよんはくしゅいっぱい)になるのでしょうか。

市川市のウェブサイトによると、六所神社は「下総国(しもうさのくに)の総社」だったとのこと。

大化の改新(私が習った頃は645年の出来事)の後で日本はいくつかの地域に分けられたようです。
その地域の一つが下総国。
今の千葉県北部、茨城県南西部、東京都と埼玉県の一部が、下総国だったそうです。

地域の政治の中心地には国府(こくふ)が置かれました。
会社でたとえると、朝廷が東京本社で、国府は各県の出張所というところでしょうか。
下総国の国府は、国府台(こうのだい)にあったとのこと。
国府台に六所神社はありましたが、明治時代に須和田に移されたそうです。
以前のブログで紹介した國府神社も移されたようですね。
国府台に陸軍の施設を作るためだったとのこと。

六所神社があったとされる場所は、今は国府台公園・スポーツセンターになっていてパワースポット感はありません。
国府台公園・スポーツセンター
〒272-0827 千葉県市川市国府台1-6

この地が元々は日本の気を調整するための場所だったとしても、人々がその土地を守らなければ役割を果たさなくなるのでしょう。




現在の六所神社を見ると、菊の花が神紋なのでしょうか。

鳥居から拝殿を見て、左側には数々の石像がありました。



ところで、鳥居を撮影した写真からお分かりのように、境内が駐車場・駐輪場と化している印象です。
拝殿の前にも駐車されていたので、ちょっとがっかりしました。
ただ、市川駅周辺の神社や寺を巡っていると、こうしたことはあまり珍しくありません。
弘法寺では、近所の大学の男子学生と思われる二人連れが、二人とも歩きたばこで境内を通り抜けていました。
町中にある小さな社の目の前がゴミ置き場になっていることもあります。

私が田舎で育ったからかもしれませんが、鳥居よりも奥に車がとまっていたり、鳥居の前がゴミ置き場になっていたりするとギョッとします。
市川のような都会では、スペースに余裕がないのでしょうか。
人間の都合で引っ越しさせられるなど、国府台の神様も大変です。

以前のブログで山伏の奥さんのことを紹介しました。
彼女から聞いて私は初めて知ったのですが、昔は寺院の敷地内に神社があるなど、仏教と神道ははっきりと分かれていませんでした。
明治時代の神仏分離令で寺院と神社、仏教と神道が分けられたとのこと。
政治という人間の都合によるものです。
しかし山伏は、現在も神仏を分けずに信仰しているのだと、山伏の奥さんから聞きました。

山伏は山ごもりや滝行、火渡りなど厳しい修行をします。
修行の目的は、山伏自身や家族の幸せではなく、世の中の人すべての平和と健康を祈るためなのだそうです。
自分の損得を捨ててこそ、ご利益が得られるのかもしれません。
「効率のよさ」や「富」などが重要視される資本主義社会とは異次元の世界があるようです。