市川駅から歩いて行ける「勝手にパワースポット」その10 里見公園の夜泣き石

里見公園の夜泣き石
〒272-0827 千葉県市川市国府台3-9


静か。
そして穏やか。
里見公園の「夜泣き石」周辺はとても安らかな場所です。


里見公園がある国府台は古戦場で、明治から昭和の初めまでは陸軍の施設がありました。
長年、この地は戦いと関係してきた印象があります。

「夜泣き石」伝説の看板によれば、国府台合戦で戦死した里美弘次(さとみひろつぐ)の末娘が、戦場跡を見てショックを受け、石に寄りかかって泣き続けたとのこと。
娘はそのまま息絶えてしまい、娘が寄りかかっていた石からシクシクと鳴き声が聞こえるようになったそうです。
ただ、記録では里美弘次は15歳で戦死しているので、「あくまでも夜泣き石の伝説である」と看板では断わっています。
ちなみに、「夜泣き石」という名前からここは心霊スポットにされているようですが、私はまったく怖くありませんでした。


国府台合戦は、1538年と1564年に起こったと『ジュニア版 市川の歴史』に書かれていました。
室町時代後半の戦国時代。
1476年に京都で応仁の乱が起こり、日本の各地ではあちこちで小競り合いが続いていました。
国府台は1478年に太田道灌(おおたどうかん)が陣を構え、翌年に城を築いたようです。
太田道灌は江戸城を築いたことでも有名な武将ですね。

里美弘次は、第二次国府台合戦の大将である里見義弘(さとみ よしひろ)の子どもです。
里見軍は北条軍に敗れ、15歳だった里美弘次も戦死してしまったようです。
15歳は、現在だと中学3年生でまだまだ子どもです。


戦いが起これば幼い子どもも、農民も駆り出されていました。
その戦いの元をたどると、権力者の親子ゲンカや兄弟ゲンカ、オジ・甥のケンカだったりすることもあるわけです。
一部の人間の支配欲と権力欲、独占欲に、多くの人々が巻き込まれていきました。

そんな戦いで夫や息子、父や兄弟を失った女性たちの悲しみと嘆きが、夜泣き石の伝説を生んだのかもしれません。

現在の国府台には教育・スポーツ施設が建てられています。
里見公園にはバラや桜を見に多くの家族連れが訪れます。
たくさんの年月が過ぎていくとともに、多くの悲しみは安らぎに変わっていったのではないでしょうか。

争いに巻き込まれたり、悲しみにとらわれたりしたときにここを訪れると、穏やかな気持ちを取り戻せるかもしれません。


里美弘次たちの亡霊の碑

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